今回はちょっと変わった切り口で、地元愛知県新城市出身の岩瀬忠震(ただなり)についてのお話です。
皆さんはこの岩瀬忠震(ただなり)のことは知っていますか。
ご存知の方はかなりの歴史通と言えます。
江戸時代の幕末に活躍した方で、幕府の外交官として開国に貢献した方なんです。
教科書には載っていないのであまり知られていませんが、大変な偉人であって、日本の恩人でもある方なんです。
こんなにすごい方が地元愛知県の新城市出身でいらっしゃるとは驚きですよね。
実は2016年4月29日に岩瀬忠震の銅像の除幕式がありまして、その銅像制作に私共やすらぎやがお手伝いさせていただいたんです。そんなご縁もありまして、この岩瀬忠震公のお話をしたいと思います。
この方は徳川幕府の外交官、外国奉行としてアメリカやオランダなど5カ国と修好通商条約を結ぶなど、開国を進める上で大活躍したんですね。
当時の日本の儒学思想というものは、古い封建思想のかたまりだったんです。ところが岩瀬忠震は儒教的理想主義と言えるような、人の命を大切にするヒューマニストだったんです。
当時の日本としてはとても進歩的な珍しい方で、当時は西洋人は野蛮だという考え方があったんですが、彼は皮膚の色や宗教が違っても同じ血が通った人間同士なんだと認めていたんです。
地元新城市出身にこんなすばらしい人がいたことを多くの人に知ってもらいたい。また、いつまでも忘れずにいてもらいたいという思いで、銅像制作に関わってきました。人は2度死ぬといわれます。1度目は肉体が滅んだ時。2度目はその存在を忘れ去られた時です。岩瀬忠震公はこの銅像によって永遠に生き続けられるわけなのです。