化野念仏寺について
皆さんは京都嵯峨の化野念仏寺はご存知ですか?
京都は皆さん大好きなので何度か嵯峨野のあたりも行ったことがあるのではないでしょうか。
化野(あだしの)の念仏寺といえば、一般的にはたくさんの石仏や石塔で知られているところですよね。
私は10年程前に一度お参りに行きましたが、身がきゅと締まった記憶があります。
化野は平安時代以来、東の鳥辺野、洛北の蓮台野と並ぶ墓地であり、風葬の地として知ら
れています。
811年弘法大師が如来寺を建立し、野ざらしになっていた遺骸を埋葬。
法然上人が念仏道場を開き念仏寺となる本堂は江戸時代(1712年)に寂道により再建。
明治36年(1903年)頃、化野に散在していた多くの無縁仏を掘り出し集めました。
8000体の夥しい数の供養墓が祭られている西院の河原、境内には水子地蔵もあり、地蔵菩
薩の縁日には水子供養がおこなわれています。
平安時代には疫病が流行り、多くの子供が捨てられました。
親が子を哀れみ供養塔を制作されたものも多くあります。
死者崇拝がされているのです。
まさにいろいろな人たちの、いろいろな思いが込められているんですね。
お墓づくりは、先祖の敬い、故人への愛おしみ、子への哀れみ慈悲の心なんです。